TOKYO DAYS PRODUCTION COMMITTEE

今回で10回目を迎える「花の写真グループ展」を前に、写真家・小川義文が代官山ヒルサイドテラスのオーナーファミリーでGKインダストリアルデザイン代表の朝倉重徳氏と対談しました。代官山という街のこと、ヒルサイドテラスへの想い、そして写真家とインダストリアルデザイナーが共有する「美しさ」とは。

対談

写真家・小川義文

インダストリアルデザイナー・朝倉重徳

2024712日金曜日
代官山ヒルサイドテラス E棟ロビーにて
文:宮崎秀雄 写真:吉川正敏

最初はNAVI でした。

小川:
花の写真展にはいつもお出かけいただいていたので、会場では何度かお会いしていますが、今日は改めてよろしくお願いします。
 
朝倉:
実は1984 年の雑誌NAVI(注1)の第7 号に、私にとって最初の小川さんとの出会いがあったんです。その号がこれですけど、カリフォルニアのアートセンター(注2)の特集記事があって、この記事を見て「ここに行きたい」と決めました。そのアートセンターの特集とは別のページの記事、ここに小川さんのお名前がありました。その後、1985 年から1989 年までアートセンターでプロダクトデザインを学びました。ポルシェAG繋がりですと、小川さんもよくご存知のデザイナー山下さんも同時代に学んだ同窓生です。私も車が好きだったのでNAVI は長い間ずっと読んでいましたから、小川さんの写真もたくさん記憶に残っています。車業界の共通の友人もいます。
 
小川:
NAVI は創刊したものの、最初はまったく売れませんでした。編集長の大川悠さんからお声がけいただいてから私も撮影させていただくようになりました。次の鈴木編集長の時代までの20年間くらいが一番元気だった時代だと思います。この頃、特に大川さんに私は鍛えられましたね。どんな写真を撮ればいいのか、言わないんですよ。自分で考えて撮れって。言葉は投げかけられます。「1984 年代の東京」とか、「スポーツカーとは」とかですね。
 
朝倉:
それは難しいですね。
 
小川:
そうです。自分なりに考えて撮っていましたが、そのせいか今でも私にとっては写真を撮るに際して、言葉がとても大切です。
 
朝倉:
分かります。ちゃんとした考えやコンセプトがないと、言葉では表せないですからね。そう言えば、1995 年でしたか、ヒルサイドフォーラムでポルシェの写真展も行っていますよね。
 
小川:
本格的に写真家として活動するようになって、いつかは代官山のヒルサイドテラスで自分の写真展を行いたい、ずっとそう思っていました。何度かお願いしましたが商業的な匂いのする車の写真展はダメだと断られ続け、何度か説得を繰り返し1994 年に受け入れていただけました。(注3

代官山で写真展を開催する意味。

朝倉:
そういう経緯もあったのですね。知りませんでした。
ところで、なぜ代官山のヒルサイドテラスでの開催にこだわったのですか。
 
小川:
私は生まれ育ったのが都内の猥雑な街でした。早くこの街から出たいっていう思いがあって、小学生の頃から自転車に乗って、いろいろな街へ出かけて街の風景などを見るようになりました。1964 年の東京オリンピックにできた国立競技場や銀座。飯倉のミツワのショウルームでガラス越しに中のポルシェを見ていたら、高倉健さんに「坊主、これが好きなのか?」って声をかけられたこともあって、いつかは自分でポルシェに乗るとその時決めました。その少し後ですよね、代官山にヒルサイドテラスが生まれ始めたのが。
 
朝倉:
そうですね、私がまだ小学校1年生くらいの時でした。今あるC 棟のところにあった木造平屋の家に暮らしていましたが、建て替えの期間にA 棟のオフィス用ワンルームに家族4人で暮らしたのが最初の強い記憶です。
 
小川:
そんな時代もあったのですね。私はこの街の静かな佇まいの雰囲気が好きで、よく自転車で遊びに来ていました。朝倉さんにとって、この街はどんな印象ですか?
 
朝倉:
内側にいると、あまりよく分からないのです。小川さんのように外側から、この街を見ている方のほうがよく知っていらっしゃるのではないでしょうか。今回も小川さんと対談するということで、自分でも改めてこの街のこと、家のことを確認し直しました。そうしたら、やはり知らないことや新しい発見もありました。
 
小川:
どんなことですか?
 
朝倉:
ヒルサイドテラスが皆様に受け入れられる理由として、地理的要因が大きいということです。ヒルサイドテラスの名前の由来にもなっている独特の地形や、三田用水という玉川上水から分水した用水路が何百年も前から流れていたことなどです。鎗ヶ崎交差点で止まっていてどこにも通じていない旧山手通りの道幅が広いことにも関係していると思います。
また、新しい発見ではありませんが、ヒルサイドテラスにとって猿楽塚の存在は非常に大きいです。6-7世紀の古墳と言われていますが、長い歴史の中でこの地域の人々が守ってきたものが、現在はヒルサイドテラスの中にある。ヒルサイドテラスのハード面でもソフト面でも猿楽塚の存在を抜きに考えることはできません。
そのような背景の中で朝倉家は江戸時代には米屋を、その後アパートなどの不動産経営も始めていました。その流れでヒルサイドテラスにつながりますが、当時代官山には同潤会アパートがあり、それを参考にしたことは父からも聞いたことがあります。小川さんもご存知ですよね。
 
小川:
ありましたね。
 
朝倉:
小さな集落みたいな存在で、住居以外に食堂、理髪店、銭湯などもあったようです。ただのアパートとは異なる雰囲気の参考にしたのかもしれませんが、祖父や父と叔父が建築家の槇文彦さんとヒルサイドテラスのプロジェクトをスタートし、1969 年に第1 期のA 棟が完成しました。(注4)
 
小川:
なるほど、歴史のあるこの土地には人を惹きつけるだけのパワーがあるんですね。私はそれに惹かれて来たのかもしれません。1995 年にポルシェの写真展を開催させていただいたこと、そして花の写真展を行うようになって、花の写真展もやっぱりヒルサイドテラスで行いたいと思うようになり、3 回目から毎年お世話になっています。そして10 回目を迎える今、こうして朝倉さんと対談させていただくのも何かの縁を強く感じます。思い続けると通じるみたいな。ですから、代官山ヒルサイドテラスは自分の人生のようなものです。

最先端の技術の結晶のポルシェから、そのままで美しい花へ

朝倉:
自動車の写真がメインだった小川さんがなぜ花の写真を撮るようになったのでしょうか。
 
小川:
若い頃、六本木のスタジオで撮影していたとき、隣のスタジオで秋山庄太郎さんが花の写真を撮っているのを垣間見たことがありました。その時は、花を撮るようになっては終わりだなんて生意気なこと言っていましたが、自分が還暦を迎える頃から、もっと写真がうまくなりたいと強く感じるようになりました。それまで撮っていた車、特にポルシェは最先端技術の結晶みたいな機械です。でも、その対極にあるものを撮りたくなって、それがたまたま花でした。花ってそのままで美しいじゃないですか。存在するだけで美しい。言うなれば神が作ったデザイン。そこに目が向きました。
ようやく秋山さんの気持ちが分かるようになる年頃になりました。
 
朝倉:
それ、最先端技術の対極って、すごく共感しますね。インダストリアルデザインも究極の工学ですが、美しくなければいけないと思っています。工学と、一見その対極にある花の美っていうのは、実は深いところで繋がっていると思います。
 
小川:
なるほど。

何に「美しい」と感じるのか?

朝倉:
私も常々、工業製品も「美しく」ありたいと思っています。では、「美しい」って何なのか。視覚的、表面的に調和が取れているという意味と、もう一つ深いところで心に響くという意味があります。
ダンサーやフィギュアスケートを例にすると、コスチュームは表面的な「きれい」。深いところで心に響く「美しさ」はパフォーマンスの動きです。重力に対する合理的なバランスであったり、骨格に対して合理的な動きであったり自然の摂理や宇宙の原理に基づく秩序ですが、我々人間も同様に自然の摂理に基づく秩序でできていることで共鳴するからだと思います。
工業製品はそれを支える技術は物理や数学など工学です。美しいって感じるのは情緒ですよね。物理数学と情緒、一見相反するような両者が深いところで一致する瞬間があるはずです。その瞬間を見つけるのがデザインだと思います。
 
小川:
車にも「美しい」と「心地よい」という要素があります。私たちが車に触れるのはほとんど車内です。最初は意識しないで乗っていても、時間が立つと視覚的な情報、材質、スイッチのタッチ、形、感触が人間に対する印象を形成します。この印象形成で、美しいとか心地良いということが決まってきます。朝倉さんがおっしゃっているのはこの印象形成ということかもしれませんね。

美しい写真とは。

小川:
私も美しさの根底って何だろうってよく考えますが、目で見て美しいと思った何か、そこを切り取る行為が写真です。言い換えると、五感に訴えることを写真化する、さらに言語化するっていうことです。
 
朝倉:
写真は視覚だけですが、それ以外の感覚をにいかに写真表現に置き換えていくかということでしょうか。
 
小川:
そうです。現場で感覚的に撮っていて、それを自分の表現意図や写真を言語化できるかどうかということが大事。言葉が先にあって、その言葉に触発されて写真を撮るのもあり。感覚的に五感に訴えるものを吸収して、撮ったものを言語化するのもあり。結果としては同じことです。
これまで自分なりに写真をやってきて、美しい写真の根底は、この「考え方」に尽きるというのが私の結論です。だから、テクニックではないです。
 
朝倉:
そこですね。

美しいものは機能的だ。

小川:
テクニックを生かすにも、前段階の考え方がしっかりしてないと、テクニック・技術は役に立ちません。よく「先生みたいに撮りたいので、撮り方を教えて」って言われますが、自分で試行錯誤して、壁にぶつかり失敗して、初めて何が必要かを考えることがその人を成長させてくれます。
 
朝倉:
ちょっと古い言い方ですが、工業デザインのことを「技術と芸術の融合」、「定量と定性の融合」という言い方があります。一見相反することが実は深いところで一致するところがあります。また、一般的にエンジニアとデザイナーは違うと思われますが、私の中では一致しています。いいエンジニアは設計センスがいい。理詰めでやっていくのではなく、感覚的にいい設計がバシッとできます。「設計意匠同源」と私は言いますが(注:医食同源と同じ使い方)、設計と意匠は別々だけど、実は同じ感覚です。確か、丹下健三さんの言葉だったと思いますが「美しいものは機能的だ」というのがあります。普段、我々は「機能が美しさを導く」と言いますが、逆説です。美しいものが機能的だと。それは、深いところへ行くと、美しさと機能が一致するという風に私は解釈しています。
 
小川:
それは機能美と言っていいですか?
 
朝倉:
はい、美しいからスタートして、結果的に機能的に行き着いて、最適設計に繋がっていくという解釈ですね。等価だと言っているので、どっちからスタートという表現はおかしいかもしれませんが。
 
小川:
朝倉さんの好きなデザイナーは?
 
朝倉:
アレック・イシゴニスとかオスカー・バルナックです。彼らが活躍していた時代はデザイナーと言う職種はまだなくて、センスの良いエンジニアが作ることで美しいものができていたわけです。ミニもライカもそうですよね。(注5)

世の中にどう伝えるか?

小川:
でも朝倉さんのGK デザインの仕事も、依頼主があって、オーダーに答えるわけですよね。そのデザインのよさって、見て分かってもらえればいいけど、なかなかそうもいかないことってありませんか?(注6)
 
朝倉:
あります。提案する時にどう説明するかがすごく大切で難しいです。その言語化が私たちにとっては永遠の課題でもあります。「見ればわかるでしょ」というのは通用しません。言葉にして説明できる必要がありますが、結局それは、自分の中でコンセプトが明快かどうかということになります。
 
小川:
写真にはその人の人生でそれまでどれだけ美しいもの、本物を見てきたかっていうことが表れます。デジタルの時代になって、誰でも高性能なカメラやスマホで手軽に写真を撮れるようになりましたが、そこを小手先で埋め合わせようとテクニックに走ってもなかなか美しい写真は撮れません。
 
朝倉:
若いスタッフには自分の中に「モノサシ」を作るように言っています。そうすると自分の提案が、求められる基準を満たしているかが客観的にわかります。そのためには、その世界の一番を見ること。小川さんが仰る「本物を見てきたか」に通じる考えです。そうすることで美しいものとそうでないものの見分けができる「目利き」になっていくのだと思います。

写真にしにくいことを考える。

朝倉:
小川さんがアマチュアの生徒さんにどう説明してこんなに美しい写真が撮れるようになるのか、そのプロセスにとても興味があります。具体的にどう指導していますか?
 
小川:
私は技術的なことはあまり教えていませんが、写真そのものも教えられません。写真に定量的な答えはありませんから。その人の中にあるものをどう引き出して表現するか、そこの話をよくします。だから、生徒さんからは「教えてもらえない」ってよく言われますけどね。
 
朝倉:
それ、聞いたことがあります。
 
小川:
写真を教える時によく言っていることで、写真にしにくいことを考えましょうって。
 
朝倉:
おっ、また難しいところから入りますね。
 
小川:
写真にしにくいものって、音、匂い、空気、つまり五感に訴えるものを写真化するということです。それは難しいですけど、慣れてくるとそこに目が行くようになります。それは、結果として視覚情報を言語化することへもつながるわけです。
 
朝倉:
小川さんが主宰している花の写真展に伺うと、見た目で美しい花の写真は技術的にも素晴らしいですが、見ていると作家さんが近づいてきて、色々と撮影するまでのことを語り始めてくれます。あれがいいですね。その人の深いところの思いや感情を聞かせてくれるのが。
 
小川:
写真は撮るだけでなく、人に鑑賞していただいて完結するというのが私の考えです。
 
朝倉:
なるほど、それで皆さん、語る。
 
小川:
そうです。ワークショップでも言語化するカリキュラムがあります。
 
朝倉:
そうですか。人に説明できないということは、コンセプトがしっかりしていないということですよね。
 
小川:
そこです。ティーチングでなくコーチングというのは、自分の中にあるものを表現することですから、それをどううまく引き出すか、言語化するかということにフォーカスしていきます。
 
朝倉:
だから、そこで適切な言葉で説明することがすごく難しい。すごくよく分かります。
 
小川:
写真の基本は光と影です。光と影をどう見極めるかという基準が分かるようになると、美しい写真が撮れるようになります。それが、小川メソッドと呼んでいる「半逆光」の光です。工業製品を撮るときもこの光が一番美しく撮れます。そこに気がついたのは写真を撮るようになって20年くらい経ってからです。
 
朝倉:
旅行に行った時とかは写真を撮りますが、光を見極めるのは難しいです。良い景観でも順光やピーカンで上手く撮れないことも多いです。
 
小川:
中でも半逆光は一番難しい光です。
 
朝倉:
やっぱりそうですよね、小川さんから聞いてちょっと試したりもしましたが、難しいです。
 
小川:
順光やサイド光や、いろいろな光がファインダーの中にあります。半逆光が見極められるようになると、複合的な光の中で美しい光を見極めることができるようになります。これが写真撮影の基本であり、極みだと思うのです。

アーティストが育ててくれたヒルサイドテラス。

小川:
私たちの花の写真展は、会場が賑やかで、ヒルサイドテラスの中でもうるさい写真展になってしまうのではないかと心配していたら、朝倉さんの叔父さんが会場に見えた時に「賑やかな方がいいですよ」って言っていただいてほっとしました。
 
朝倉:
ヒルサイドテラスは、多くのみなさん、アーティストやテナントの皆さん、クリエイターの方たちと一緒に歩んできて、ここまで来ることができました。代官山という街もみんなが育て上げてくれた街という感じです。ですから10 年目を迎える小川さんの写真展もすっかり夏の終わりの賑やかな風景として定着してきているのではないでしょうか。
 
小川:
そう言っていただけると本当に嬉しいです。そう言えば、朝倉さん、以前に写真集を出していませんでしたか?
 
朝倉:
見つかっちゃいました?インターネットが普及し始めた頃、誰でも自分で作品を発表できるようになるというので、自分の写真をホームページで公開していたら、ある編集者の目に止まって写真を出さないかという話になりました。ベトナムとミャンマーの日常を撮ったものです。その後知り合いのダンスパフォーマンスを撮ったものも出しました。両方白黒写真です。2000年と2002年なのでだいぶ前のことです。私の祖父も父も写真が好きだったので、私も子どもの頃から写真が好きでした。暗室でプリントするための引き伸ばし機フォコマートIIc(ライツ製)(注7)が今でも私の一番の宝物です。
 
小川:
朝倉さんもそろそろ花の写真を撮りませんか?
 
朝倉:
そうですね。写真とデザインは深い美しさを通してオーバーラップします。8月の写真展、楽しみにしています。


Profile

◎小川義文
写真家。
株式会社小川義文事務所代表。
1955 年生まれ。自動車写真の第一人者。広告写真では日本雑誌広告賞など多数の受賞歴がある。自らの写真論をまとめた「写真家の引き出し/幻冬舎」、「小川義文 自動車」など著書、写真集も多数。

◎朝倉重徳
インダストリアルデザイナー。
GK インダストリアルデザイン代表取締役社長。
1963 年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、アート・センター・カレッジ・オブ・デザイン卒業。


( 注1)
自動車雑誌NAVI
1984 年創刊。自動車のハードウェア評論が主たる記事であった自動車雑誌の世界に社会的、文化的な視点から切り込み、多くの読者を惹きつけ、自動車の世界に影響を与えた伝説的な雑誌。
 
(注2)
アート・センター・カレッジ・オブ・デザイン。
1930 年にロサンゼルスに設立。「現場でのデザインスキル」を学べる、全米で最も評価が高いデザイン専門校のひとつ。現役で活躍中の先生も多く、授業ではプレゼンテーション能力が徹底的に鍛えられる。
 
(注3)
小川義文写真展「PORSCHE 911 IZATION/ 進化論」。
1995 年代官山ヒルサイドテラスのヒルサイドフォーラムで開催。長年撮りためたポルシェ911 の写真だけで構成された写真展。すべて大型のデジタルプリントで展示され、ポルシェの実車の展示など話題となった。
 
(注4
代官山ヒルサイドテラスプロジェクト。
1969 年に第1 期のA 棟が完成し、以後、朝倉家と建築家・槇文彦氏による共同プロジェクトとして25 年間6 期に渡る時の経過を経て、類稀な都市環境を作り上げてきた。建築、デザインだけでなく都市文化、ライフスタイルについても多くのことが語られてきた。建築家・槇文彦さんは今年6 月、95 歳で亡くなられました。
代官山ヒルサイドテラス LinkIcon
 
(注5)
アレック・イシゴニス。イギリスのエンジニア。FF コンパクトカーの先駆者、 MINI の設計者。
オスカー・バルナック。ドイツの精密機械エンジニア。ライカの生みの親。
 
(注6)
GK デザイングループ。
株式会社GK デザイン機構を中核とした、多領域のデザインファームを抱える、企業グループである。東京の他に、京都、広島、ロサンゼルス、アトランタ、アムステルダム、そして上海に拠点を持つ。
GK デザイングループ LinkIcon
GKインダストリアルデザイン LinkIcon
朝倉さんの近年の代表作。大阪と名古屋を結ぶ、近畿日本鉄道の都市間特急電車。全席固定のバックシェルタイプのシート。リクライニングしないので、後ろの人にもストレスを感じさせない。
 
(注7)
フォコマートIIc
1954発売の自動焦点式写真プリント用の引き伸ばし機。ライツ社製。


写真家・小川義文監修
アマチュア写真家育成プログラム
第10回 「花の写真グループ展」

2024年8月28日(水曜日)〜9月1日(日曜日)
11:00〜19:00
代官山ヒルサイドフォーラム
入場無料